岩手県花巻市といえば、まず、思い浮かぶのは大谷翔平選手に菊池雄星選手。それに、「雨ニモ負ケズ」「注文の多い料理店」など数々の作品を残した童話作家の宮沢賢治が生まれ育った場所。
一つの市からこれだけ著名な人を輩出している花巻市には、訪問看護をきっかけに多角的に事業を展開している訪問看護ステーションがあります。それが、くくる花巻訪問看護ステーション。
訪問看護ステーションをはじめ、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所、看護小規模多機能型居宅介護、サービス付き高齢者向け住宅、保育園。これらを展開していったのは、なんと、1人の訪問看護師!
なんでこんなに色々やってるの?どうやってここまで展開できたの?秘訣は⁈伺いたいことは山ほど!
立ち上げから共に走ってきた職員、地域医療を支える医師、市役所職員へのインタビューを通して、訪問看護の可能性と訪問看護師の持つチカラを探ります。
岩手県花巻市:人口93,948人(高齢化率34.4%)
在宅死の割合12.9%
1.一人の訪問看護師がステーション立ち上げに奮起するまで
団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となる2025年には、高齢者の医療や介護の需要がさらに大幅に増加すると予測され、2011年に地域包括ケアシステム構築が自治体の義務とされました。地域包括ケアシステムとは、高齢者が住み慣れた地域で、安心して生活を続けられるよう支援するための取り組みです。
今回は地域包括ケアシステムの構築を進める中で、高齢者の「住みたい場所」で最期まで暮らしたいという希望を叶えるために奮闘した、一人の訪問看護師をご紹介します。
彼女は岩手県花巻市で訪問看護ステーションを起点にいくつもの介護等に関連した事業所を展開し、地域に安心をもたらしている平澤利恵子さんです。一人の訪問看護師がいくつもの事業を経営する事例は、全国的にみても多くはありません。平澤さんは最初から多事業所の経営についてのビジョンを持っていたのでしょうか?
平澤さん、訪問看護の魅力を知る
平澤さんはもともと総合病院で病棟看護師として働いていたのですが、「部署異動」によって訪問看護と出会いました。今思えば、なんとも運命的な異動ですね!
経験豊かな平澤さん。
現場の話を語られる時の目が生き生きと輝いていたのが印象的でした!
平澤さん「自分から訪問看護をやりたくて始めた訳ではないのですが、姉が訪問看護をやっていたので、楽しそうだなと言う印象はありました。」
こうして病院の訪問看護部で訪問看護師として勤務し始めた平澤さんは、しだいに訪問看護の魅力にとりつかれていきました。
異動してまもなく、在宅で最期を過ごしたいという膵臓がん末期の利用者さんを担当されていたときのことです。利用者さんのところへ連日訪問しては、ご本人の状態やご家族の思いを主治医に伝えていました。しかし、往診をお願いしても「そんなの無理、何かあったら病院に連れて来い」の一点張り。利用者さんの思いに寄り添ってもらえないことにだんだん腹立たしくなった平澤さんは、それから毎日、外来や手術が終わった主治医が病棟から出てくるのを待ち伏せして、思いを伝え続けました。そんなある時、訪問へ行った時に点滴が入らず、困り果てて主治医に電話をしたら「今から行くよ」というお返事が!
平澤さん「その先生は利用者さんの隣に座ってずっと話を聞いてくれてね。結局、看取りの時も来てくれたんです。今ではその先生、在宅療養大推進派になったんですよ!利用者さんやご家族が先生の意識を変えたんだと思うけど、自分もこうやって頑張ればなんとかなるってことを学習したら、モチベーションが上がりました!(笑)」
なんという成功体験!このあとの平澤さんは独立して多角的に事業展開していくことになりますが、その原動力となる「諦めない精神」は、この経験が原点となっています。
目の前の利用者さんが望んでいることを、看護師や医師等さまざまな職種と共に知恵を絞り協力することで叶えることが出来る。これは訪問看護の醍醐味でもありますね。
日々の看護を展開する中で、「訪問看護師として地域で広く活動するためには、さらに勉強が必要だ!」そう思った平澤さんが着目したのが、訪問看護認定看護師です。資格を取得するには半年間東京へ行く必要がありましたが、旦那様の後押しもあって、42歳の時に訪問看護認定看護師教育課程で学び、見事訪問看護認定看護師となりました。そして、認定看護師教育課程で学んだことによって、自分が働きたい訪問看護ステーション像がどんどん明確になってきました。
平澤さん、起業する
平澤さんの思い描く訪問看護ステーション像は、どんなものだったのでしょう?その問いに平澤さんは「利用者さんの訪問依頼を断りたくなかった」と、即答されました。
当時、花巻市には訪問看護ステーションが3カ所あり、平澤さんは一番規模の大きな訪問看護ステーションに所属していました。あとの2か所は小規模だったので、「私たちのステーションがお断りしたら、その方は今後どうするの⁈」と想像しては、「助けが必要な人を放っておけない!」という気持ちが強くなったとのこと。組織や運営上致し方ないこともわかるけれど…。それならば、自分で事業所を作るしかない!と、一念発起したそうです。
平澤さん : 利用者が確保できるか?とか、いろんな不安はありましたよ。それでお金の計算とか勉強して「このくらい稼げば初期費用はどうにかなるかな」というように見えて来て。
一般的な会社の作り方から経営やマネジメント、人材育成、人事評価、心のマネジメントの本・・・・。成功した人の本をとにかく読み漁った。5年以上は、ずっとそういう本ばかり。
事業所を運営するということは、看護が大好きな看護師じゃなくて、経営者にならないといけないんだって、読み漁ったたくさんの本から感じ取ったよね。
多角経営が維持できている状況を見ると、起業するときには経営コンサルタントに相談したり、起業セミナー受けたりしたのかと思ったら、独学だそうです。「自分でやって行く覚悟決めたら、勉強するしかないでしょう!すべて本から学んだよ」と。
「困っている人がいるんだから助けたい」を実現するために開設した訪問看護ステーション。これが今後の事業展開の軸となります。
熱い思いが形となって開設されました。
明るく広々とした事業所は、スタッフの笑い声で賑やかでした。