2. 事業所内外での体制と課題
その時、管理者として
皆さんは、管理者として事業所の運営と地域への支援をされていましたが、ご自身の生活もあり、どうやって動いていたのでしょうか。
また、さまざまなサポートチームが支援されていましたが、混乱している中でどのように連携されていたのでしょうか。
中村さん「水がない、電気もない。でも自分たちも生きていかなくちゃならない。
だから仕事に来ては、ちょっと自宅に戻って片付けをして、そこから訪問に出かけるなどしていました。
管理者としては、日々刻々と変わり、その後の展開もまったく予想ができない環境(もしくは、状況)のなかで、スタッフを動かした方が良いのか止めた方がいいのかの判断はかなり悩みましたね。
亀裂だらけの道なき道をなんとか訪問している姿を思うと、胸がぐっと苦しくなる日々でした。」

仮設住宅の様子

らいず訪問看護ステーション
右:宮本さん 左:岡浦さん
訪問看護師である前に、一人の生活者でありそして被災者であることは、様ざまな役割を重複されているということ。
おそらくメンタルを保つのもギリギリな状況であったに違いありません。
事業所を継続するための工夫として、
岡浦さん「スタッフも被災しているので時短勤務を取り入れました。8時間のところを6時間にして、自宅の整理や子供の世話にあてる時間を作るようにしました。」
と、迅速に体制を見直されて運営されている事業所もありました。
皆さんBCPは作成されていましたが、今回の地震を受けての感想として、
菅原さん「小さな事業所で動けるスタッフも少ないので、シミュレーションが大事だと感じました。
一人で全て抱えるのではなく、スタッフと役割分担することも大事だと思いました。」
全国にある多くの訪問看護ステーションは小規模のため、この観点は非常に大事であると感じました。
また、管理者としてスタッフに向けて「みんなの命が何より大事だから」と、必ず訪問先では避難路を確保することや、自分自身の体調を優先して訪問を中断してよいはい!
ことなども伝えていました。
今回、皆さんが揃って課題だと感じていらしたのが、災害支援の医療関係者との連携についてでした。
菅原さん「いろんな所から応援の方がいらして助けられた部分もたくさんありますが、役所も混乱している中で、情報共有をどこまでどうやってするのかが課題だと思いました。
利用者さんから「ようわからんけど、今日はこんな人来たわ」とよく耳にしました。」
宮本さん「精神疾患の人は目には見えない部分であり、自ら伝えることも難しいので、外部から入る支援者に、その情報を繋げていくシステム構築が必要だと思いました。」
中村さん「訪問看護師として自分の判断を言語化して相手に伝える力、多職種とつながる力、そして少し先を見通す力は災害時にも活かせることを再認識しました。
ただ、他の事業所がどのような動きをしているか見えにくかったので、そこを共有できたらもっと一緒に活動できたかもしれないと思っています。」
災害時における医療や看護に関する情報共有の在り方については、切れ目のない支援の継続において大変重要なことです。
今後も引き続き自分ごととして検討が必要だと思いました。
平時からのつながり
前述したとおり災害時の連携には課題があるようですが、その中でも中能登町では自治体と訪問看護ステーションの連携がとれていたようです。それはどのような仕組みがあったのでしょうか。
中村さん「厚生労働省の在宅医療・介護連携推進事業として、中能登町在宅医療介護を考える会、通称「あじさい会」があります。
この会では、平時から多職種と連携して、住民の方に認知症や嚥下訓練などの研修会をしています。
今回の地震の際もこのつながりを通して、住民の声を行政に届けて、迅速な診療や生活に関するタイムリーな相談、情報共有ができました。
震災後にも、地域住民と今後を一緒に考える場を設けました。住民から出てきた内容のキーワードは「自分の身を守る」「ご近所」「日頃のつながり・集まり」でした。
日頃からご近所さんとのつながりの大切さと、発災後の不安な中で大きな支えとなったのは、このあじさい会でのつながりであったと強く認識されたと思います。」
石川県では、石川県看護協会ナースセンターのバックアップの中、石川県訪問看護ステーション連絡会が日頃からBCPの勉強会や有事の際のエリアマップ作成など、さまざまな取り組みをされていました。
この取り組みで顔の見える関係となり、災害時に情報の共有や支援物資の提供等で役にたち、何よりもお互いにくじけそう気持ちを支え合うことができたとのこと。改めて日頃からの連携の重要性を感じました。